2011年8月22日-25日、韓国宗教者フォーラム代表者の日本における現地学習(東京都豊島区および熊本県水俣市)の実施

2011年8月22日-25日、韓国宗教者フォーラム代表者の日本における現地学習(東京都豊島区および熊本県水俣市)の実施しました。

韓日宗教者フォーラムは、2010年10月に設立されました。韓国宗教者フォーラムはその韓国側組織で、社会問題に関心を持つ活動的なさまざまな教団,宗派に属する韓国の宗教者が参加しています。

本年3月に韓国ソウル特別市で開催された韓国宗教者フォーラムの設立総会に際し、当財団の野口専務理事が「韓日宗教者フォーラム」の提唱者の一人として招待され、基調講演を行いました。内容は、庭野平和財団の平和活動の理念と活動、とりわけGNHの考え方と水俣の「地元学」の関連について説明し、ソウル市における宗教施設の緑化活動について試験プログラムの提案を行ないました。

その後、本年3月、韓国側から日本における緑化活動の実際と水俣地元学の実際を見学したい旨の連絡があり、当財団がGNHの普及に関する助成事業の一環として韓国宗教者の受け入れを決定しました。

8月22日、韓国宗教者フォーラムの代表ジョン牧師および7名の参加者が来日し、東京都豊島区で、立正佼成会豊島教会を訪問し、横浜大学名誉教授宮脇昭先生の指導による緑化活動について福田教会長ら関係者より説明を受けた後、豊島区内にある緑化の現場を見学し、豊島区職員、学校関係者から説明を受けました。

8月23日、水俣市に移動し、市内の相思社にて、吉井正澄元水俣市長(1994年-2002年)からテーマを「水俣病のあらましとその克服」とした講演をいただきました。

吉井氏は、その市長時代の課題を二点上げられました。一つ目は水俣病問題の解決、二つ目は、水俣病の発生により破壊された水俣共同体の再生、でした。1994年市長に就任すると街のコミュニティーの再生・修復からその仕事を始めました。その第一歩として、崩れてしまったし民間の連帯を立て直すために「もやい直し運動」を始めました。

さまざまな取り組みの結果として、市民による市のマスタープラン作りが始まりました。それまでの水俣は、大都市追従型の個性のない街づくりを目指していたが、個性(「水俣病」)に立脚した街づくりのマスタープランを市民委員会が行ないました。新しいマスタープランは工業・観光を中心とした街づくりから、環境都市水俣へと転換されました。

吉井氏の講演の後、水俣市内の水俣病にゆかりの地を見学し、相思社の担当者から説明を受けました。

8月24日、水俣市頭石(かぐめいし)地区の「村丸ごと生活博物館」を訪問し、「同生活博物館」に関する簡単な説明を受けた後、現地学習として、村の見学を行ないました。その後、村の集会場にて昼食を頂き、小憩の後、過去に行なわれた村に関する学習の説明が行なわれ、熱心な質疑が行なわれました。

現地学習後、宿に戻り、水俣病患者の家族の方からご家族の体験をうかがいました。

8月25日、宿を出発する前に、当財団野口専務理事を中心として、二日間の体験についての質疑を行った後、水俣市公民館に移動。公民館で「水俣病資料館」元館長、地元学ネットワーク主宰の吉本哲郎氏から氏の提唱する「地元学」に関する講義をいただきました。

水俣市では、市と住民、事業者が協働して新たな街づくりに成功したが、そこには、地元のことを、地元の人が、外の目を借りながら、自らも調べ、考え、創る(モノ、地域、生活づくり)をする地元学がありました。地元学とは、地元の豊かさに気づくための手段であり、「ないものねだりではなく、あるもの探し」を通じて、問題解決ではなく、価値の創造をめざすものです。

「環境都市水俣づくり」をめざして、水、ごみ、食べ物に気をつけ、水俣病の犠牲をムダにしない、を合言葉に、「元気村女性会議」、「地域通貨もやい」、「村丸ごと生活博物館」などさまざまな活動を展開しました。

その結果、『水俣市は、平成4年に日本で初めての「環境モデル都市づくり宣言」を行い、ごみの高度分別や水俣独自の環境ISO制度など、市民と協働で様々な環境政策に取り組んできました。昨年7月、これまでの実績と今後の取り組みの提案が評価され、国の環境モデル都市(全国13都市)に認定されました。』(水俣市広報より)

吉本氏の講演後、韓国宗教者フォーラムの一行は、東京を経由して8月26日、帰国の途につきました。