キリスト教界の「2030年問題」 次世代へバトンをどうつなげるか

キリスト教についてという課題を、私自身は 1990 年代から追っていました。2005 年に鈴鹿に来てからは、地域に根差したいろいろな宗教を、仏教、神道を含めて学んでいます。

私自身が関心を持っているところで、タイトルは「次世代へバトンをつなげる」とし、報告をまとめました。石井先生からのお題については、最後に述べます。

2020 年、21 年にいくつかの教会で調査しましたが、短時間の礼拝を行なういっぽうで終わったあとに少人数で短時間での会話など、さまざまな工夫が見られました。コロナについては、ほかの仏教、神道、新宗教もそれぞれ新しい様式で対応されているのが実態だと思います。

日本のキリスト教会の課題

一つ目の大きな課題は、これは他と一緒だと思いますが、信者自身の減少と宗教者数の減少です。それに伴う年齢構成比の問題。特に日本キリスト教団が 2010 年代に 2030 年問題ということを掲げられているところで、これは、ほかのプロテスタント教派も、同じようなことを意識化されています。

実態としては、1995 年から 2020 年の『信徒の友』(日本キリスト教団出版局の月刊誌)の資料を基に見ていただくとわかるように、大きく減少しています。教会に集まる人が減少し、年齢構成比も一気に高まっているという実態から、本当に 2030 年問題という意識が強いということが、これを見ても分かると思います。

信者・宗教者数の減少と年齢構成比

ただ、例えば、『信徒の友』の記事を 1970 年、80 年代から見ても、その時から高齢化、あるいは、高齢者に対する教化、伝道も大事だということを言っていたため、そうい った意味では、これ自体は突然おきたものではないということです。

むしろ、私自身は、1990 年代時点でキリスト教は高齢化が進んでいるので、日本全体に先駆けているから、学ぶべきことが多いと思っており、これが、いま、ほかのところでも同じようなことになっていると思います。

教会の維持継続と統廃合

それから、先ほど、神社、あるいは寺院でも話題になりましたが、統廃合、合併の問題は、当然キリスト教のなかにもあります。2019 年 11 月の『クリスチャン新聞』には、無牧・兼務についてのデータが掲載されています。実際、私自身、大阪にある教会の合併例の見学をしましたが、東京でも合併例があるというので、過疎地域だけでない問題だとわかります。

それから、北海道の共同牧会と、京都の4つの会堂を2人の牧師が運営しているというケースについても、これはキリスト教の例ですが、ほかでも応用のできる考え方ではないかという思いで、いくつかの学会発表、あるいは論文等で紹介しました。

北海道の例は、別の宗教法人として8つの教会がそれぞれ活動していますが、牧師だけでなく信者も含めた協力関係が 40 年続いているという例です。

京都の教会では教派も歴史も違う教会が合併し、それぞれ会堂を持って、礼拝を守っています。すべての会堂の礼拝に出て、各々の特色を実感しました。

教会数

さきほど神社の合併等の話もありましたが、キリスト教の場合は 2020年の『信徒の友』を見ると、日本キリスト教団の場合、この約 20 年間に、廃止 70、開設 61、合併や加入があり、約 20 減ということでした。20 年間で 20 減ですから、そんなに減ってないように見えますが、中身がかなりいろいろ動いているということを考えると、今後、危機感を持って動いているのがわかると思います。そして、三番目は、キリスト教会は毎週、日曜礼拝があるというのが、寺院や神社と比べて大きな特徴だと思っていますが、コロナ禍で集まることができないことにどう対応したのかというのは、非常に気になるところでした。

コロナ禍での教会生活

実際ずっと礼拝を守り続けてきたところも一部ありました。多くのところは中止、あるいは、家庭礼拝を中心に行ない、説教の配信という形を行なっていたようです。ただし、蔓延防止等の対応のなかで、短時間での再開ということもありました。いっぽうで、献金の増減や新来会者の増減という点も教会によってかなり違っています。一律ではないということをいろいろ見学し、確認しました。

それから、教会に集まれる方々についてはいいですが、これを機に集会や礼拝には来ることができなくなった高齢者は、今後復帰することはむずかしいようです。また、病気の方への対応も困難です。基本的には、教会学校、その他子どもたちへのアプローチを盛んにやってきたところも多かったのですが、コロナ以降、子どもたちへの対応がなかなかできないという声は多く聞いています。そうすると、その次の世代に向けての課題は、特にキリスト教会の場合は大きいのではないかと思います。

繰り返しになりますが、これは初めて対応しているわけで、それに対して教会内で話し合い、新たな動きがあるところもあれば、それが出来ていないところもあります。二年が経ち、コロナに対する教会ごとの差が大きいのではないかと思っています。

教会を離れた人もいれば、逆に、オンラインで配信することによって、いままで遠ざか っていた人が復帰したというケースも聞きますので、これもさまざまだろうと思いました。

したがって、今後 2030 年代、約 8 年後はどうなっているかというのは、勝手な推測になりますが、先ほどの、信者、宗教者数の減少と年齢構成比については、このまま進んでいく可能性もありますが、解決可能性もあるのではないかと思います。

キリスト教の場合は、教派によって違うところもあり、かなり活発な動きをしている教派もあります。もちろん伝統的に高齢者の層が多くて、そのまま統廃合していくのではないかなと思われるところもありますが、おおざっぱな見方で恐縮ですが、トータルで考えたときに、そこまで信者数が大幅に減少しない可能性があるのではないかと思います。

解決するのか深刻化するのか

また無牧に対する対応、その他の動きがあることを考えてみますと、その新しい動き、あるいは次世代に不足している動きは、体制が整ってないという反省をしながらの動きを見ていると、ここについて解決可能性はあるのではないかと見立てています。

いっぽう、教会の維持継続、統廃合についての成功例は、2019 年、キリスト『信徒の友』で紹介されていますが、実際は簡単にはないというところです。こう考えてみると、維持継続をできるところもそうですが、合併などがこれからもどんどん進んでいくのではないかなと思います。

今までは教会に行かなくてはいけないから近くに住むと考えていたのが、オンライン配信が可能になってくると、遠くでも大丈夫となり、合併はよりしやすくなるという見立てになります。

先ほど紹介した京都の教会では、高齢者が数名で守っている会堂がありますが、その方々は、自分たちが亡くなったら会堂は閉じても大丈夫と判断しています。ただ、それは、信仰の継承自体は、教会全体で守っていけばいいのではないかという発想を、牧師にしていると聞き、会堂という建物の維持ではなく、信仰自体が維持されることを彼女たち、彼らは求めているということであれば、器の話ではないことに気づきました。

そう考えると、これは器をどれだけ維持するのかが適正かというのは、それぞれ考えなければならないことかもしれませんが、維持という意味ではむずかしいだろうと思います。ただ、着地点はあるのではと見立てています。

教会の維持継続と統廃合 コロナ禍での教会生活

コロナ禍の教会生活についても、この二年間は大学もそうですが、どうやっていくかを議論し、検討を重ねて進んでいるわけですので、そういう意味では教会も同じように解決可能性があると見立てます。

三重県については、キリスト教以外のものも含めて紹介していくと、例えば、先ほどご紹介していただいた本のなかでは、私は真宗高田派の七里講という講活動について紹介しました。

三重県の宗教界

ただし、そこでも書きましたが現在進行形の方々はいいのですが、次世代がそこに住んでいないため、維持が次世代まで続くかどうかは疑問だろうと思います。

他方、現在、調査している仏教青年会等の活動を見ていると、30 代、40 代が横のつながりをもった活発な動きがあります。この 30 代、40 代の頑張りが、次につながるのではないかと見立てています。

コロナ禍でもずっと礼拝を守り続けてきた教会がありました。「おてらカフェ」を開いている寺院もあります。このような取り組みなどいろいろなところでポツポツと見られることから、それまで寺院に来なかったような人も来るという動きがみられました。

人口減少、若年世代の県外・都市部への移動

ただし、いっぽうでは先ほど板井氏が地図で紹介していましたが、これを人口と地域で見ると一目瞭然です。三重県は 2030 年には、人口が 10%減ります。極ごく一部の朝日町と川越町だけは増える可能性がありますが、そのほかは総じて、津も四日市も伊勢も桑名も鈴鹿も 2015 年と比較するとその 90%台です。それ以下は 60%、70%へ減少します。そう考えると三重県全体で考えるのも一つですが、地域ごとに本当にバラバラなので、47 都道府県で考えるか、あるいは、もう少し違った枠組みで考えるということもあると思います。深刻な状態ということは言えると思います。

繰り返しますが、現状維持はできています。30 代、40 代の人もがんばっていますが、次の世代を考えたときには課題が残ります。例としては、三重県内にも無住職寺院が点在しています。ただし、現在はそこに地域の人々がいるため、きれいにされているということです。

両墓制という、近畿、東海等で見られる制度は、これも現在住んでいる人々方々が守ってというか、当たり前のように守られているのですが、その次の世代はその土地に住んでいないということからすると、この制度も続けられるのかと思います。

個々に取り組まれている活動は、とてもすばらしいものがたくさんあるなかで、その後はどうなるのかと言ったときに、先ほど申し上げたように一定程度は維持でき、それは次の世代につながります。しかしその後はどうなるのかという危険性があると思います。

最後にまとめとして、次世代へのバトンですが、今冬はポッドキャストを聴いていました。なかなか面白いものがたくさんありました。特に仏教、キリスト教もそうですし、ポ ッドキャストのようなコンテンツをいままで放送してきたのが、さらにまた展開されていくと思います。YouTube での配信、オンライン会員等も大多数で利用されている方々がいて、うまく転用し活用できると、いままでそれが使えない、あるいは使うべきじゃない、対面こそと言われていた人が、必要に応じて使うことができるハイブリッドな状態になっていくと、宗教団体も上手いくのではないかと思われます。

その活用の主は、基本的に次世代の人々なので、そういう意味で言うと、この世代の人々を上の世代の人々がうまく支えることができれば、うまくバトンタッチができる可能性もあるかと思います。

次世代へのバトン

約 20 年から 30 年、老年期の先輩にいろいろな話を伺ってきました。信仰の思いなど、やはり、しっかりしたバトンタッチをしていかなければいけないだろうと思います。

したがって、2030 年はたぶん大丈夫です。

ただし、先ほど板井氏の報告にあった、2050 年になると疑問が残るとは思います。私自身は、このあと発表される寺田氏たちとの共著のなかでも書きましたが、経済的な基盤がまず大事で、それを支える信者の自覚が大事だと思っていま。その意味でいうと、キリスト教は、先ほど申し上げたように、礼拝に毎週通っている人々が支えるため、この部分はおそらく大丈夫です。そして、他の世代が活躍しているようなところであれば、大丈夫だろうと思います。

そういう意味では、外国の人々も含め、いろいろな世代がいる教会は、そのまま存続していくと思いますが、そうなっていないところは今後の着地点を上手く考えないといけないでしょう。ただし、個々に宗教法人として存在していることから、全体で統一的な方策をとることはできないと考えたときに、ディスカッションの場など設け、いろいろなことを考える場があるといいと思います。

雑駁な報告でしたが、以上になります。