宗教とデジタル化 石井研士(国学院大学教授)

宗教界はこれまでも情報化にさらされてきたわけです。そして区切り目になるような時には関心を強く示したと思います。例えば、1980 年代は、ニューメディア時代と言われ、通信衛星が使えるということになり、創価学会や阿含宗は、通信衛星のチャンネルを買って放送を流してきました。一部利用したという教団もございました。いっぺんに多くの人に教化ができるのではないか、簡単に多くの信者を集めることができるのではないか、ということからで利用を始めたように思いますが、なかなかうまくはいきませんでした。

1990 年代半ばは、マルチメディア時代と言われました。音声とか映像、特にホームページを開設できるということで、2000 年の初めぐらいまでは、宗教界におけるホームページの問題はかなり関心が高かったということが分かっています。しかし、実際には現代に至るまで、宗教界のホームページの利用は進んでいません。どの仏教教団も、神社関係も、ホームページを持っている団体は一割ほどです。

企業であれば、大企業は当然として、中堅から中小までホームページで会社に関する情報を見ることができます。そういうことを考えた場合に、宗教界は、ある程度の年月を経たにもかかわらず積極的な利用に進まなかった。言い方を変えると、本山や本部、一部の宗教団体は費用をかけて、きちんと立派なものを作りましたが、大半の宗教団体では作らなくてもいいという判断がどこかであったということだと思います。

庭野平和財団 2021年 第2回研究会報告 石井研士

近年のデジタル化で問題になっているのは、まず、キャッシュレス化だったろうと思い調べ始めました。2019 年 8 月にキャッシュレス化を進めている寺院、神社がどのくらいあるかをインターネットで調べましたが、あまりありませんでした。数としては、15 件とか20 件でした。政府が、東京でのオリンピック開催を目前にして、キャッシュレス化を進めようとキャンペーンを張っていた時期でしたが、一般的にも宗教界でもうまくいきませんでした。

近年では、真宗大谷派が利用をうたって、御影堂の前にこういうものを置いて、キャッシュレスで払えますということを始めています。コロナにおいては非接触を考えるとキャ ッシュレスはいいわけですが、参拝するほうの宗教的情操といいますか、気持ち、感覚とそれとマッチしているのかどうかというのは、考えられないままに進めていられるのではないかという気がしています。

いまひとつ興味深い試みとして、オンライン法要、オンライン参拝と言われるものが始まりました。

オンライン法要・オンライン参拝

先ほど発表したお二人の先生のなかに、オンラインの利用が進むのではないかという話がありました。キリスト教の教会で行なっていることも知っていましたが、メディアでいちばん多く取り上げられていたのは築地本願寺の事例です。そのほかインターネットで検索し、合計 3 件ほどインタビューをしてきました。

築地本願寺では、職員が数名で担当し、カメラを 3 台使って切り替えながら、オンライン法要をしています。Zoom とか、Webex を使っているのと同じような形で法要を行なうことができるという方法でした。件数としては、2020 年 5 月から 9 月までに 100 件近く行われたということです。この数が多いのか少ないのかというのは、判断がむずかしく、何とも言えないところです。こういう形で、築地本願寺では、オンライン化を進め、これを築地本願寺だけではなく、全国の宗務所、場合によっては各寺院にやり方を普及させていこうということを考えていたようです。

問題点は複数ありましたが、ざっくりした言い方をしますと、コロナになり 2 年経ちます。その間に、デジタル化された儀礼文化、つまり葬儀、結婚式、七五三、初詣などがどれほど我々のあいだに浸透したのかということを考えると、おそらくほとんど浸透しなかったとしか言いようがないようです。

問題点

確かに築地本願寺だけでなく、ほかの寺院で行なっているところもありますので、そういうところへ依頼が殺到したかというと、そんなことはありません。基本的には、葬儀は延期できませんが、法事、法要は延期するなど可能でした。実際の葬儀でも小規模な家族で行ない、出たい方はオンラインで、というような形式が多かったと思います。結婚式も、すべてがオンラインになったわけではなく、新郎新婦と両親など少人数で集まり、披露宴に参加したい方はオンラインでどうぞという形式で行われたわけで、決して儀礼文化として、我々のあいだにオンライン化が浸透したわけではないといえます。

宗教は、どちらかと言うと膝詰めで話をしながら、それでもわからないと、何回も繰り返さないと、なかなか信仰というのは持てないだろうと思います。生活の中で育まれてきた例えば、寺院や神社での参拝ということを、我々はインターネット上で、従来と変えて行なうという場合に、いまのところはそのような傾向は、顕著には見られないということしか言いようがないです。我々は、どこかでやはりインターネットを使ったものは非現実的と言いますか、バーチャルという言い方は、今ではそぐいませんが、「生のもの」というのが宗教における「場」として重要な問題だと考えています。

実際の神社、実際の寺院、実際の教会へ行くということの重要性を意識していなくても、どこかで感じているのではないかという気がしています。このあたりは、まだ調査が十分に進んでいませんので、これからさらに調査件数を増やしていきたいと思います。

また改めて考えたときに、宗教団体におけるホームページの開設率が一割ぐらいだとしても、情報化時代は、我々の社会の隅々まで進んでいます。スマートフォンがどのぐらい普及しているかという情報通信白書の調査があります。2010 年に一割だったものが、現在では約 85%です。高校生、大学生は 100%だと言われています。そのいっぽうで、コンピ ューターの保有率が減り、スマートフォンよりも低くなっています。大学生でも、コンピューターは持っていない。スマートフォンで講義を聞いているという学生が少なからずいるということも分かっています。

神社、寺院に関してはホームページを開設していなくても、検索すれば出てきます。地元の観光協会がこういう神社がある、寺院があると紹介しています。誰かが参拝したブログのなかに出てくるとか、小規模な宗教団体でも、検索すればほとんどヒットしてきます。グーグルのストリートビューを見れば、神社、寺院、教会はほとんど見ることができます。あるいは、ポケモンのポケストップになっているとかです。他のゲームソフトでも同様のものが複数あります。ここまでくると、もうインターネットは関係ないという言い方はどの宗教団体にもできないと思います。我々のなかで、宗教というものが、インターネット社会を通じてつながるっていうことをもう少し真剣に考えないといけないということだと思います。

情報発信、あるいは教化という形で、宗教団体の DX が進むということは、あまり期待ができないのではないでしょうか。それとは違った形で宗教に関しての情報が流れていきます。それでも、情報化というのは、ますます早くなるわけです。初めてスーパーコンピ ューターができたのは 1964 年の CDC6600 でした。現在、われわれが使っているコンピ ューターintel I7の能力はその 2.7 万倍だそうです。

我々は最初にできたスーパーコンピュ ーターよりも 2.7 万倍も良いものを自分の机の上で使っている状況です。コンピューターの性能がよくなればなるほど現代社会の変革は早くなっていきます。情報化と宗教とのかかわりは今後も課題としていきたいと思います。

ディスカッションはできませんでしたが、8 名の発表を聞いていただきました。いろいろ考えることがあったかと思います。重要なテーマであって、過去 10 年間、これから 10年から 20 年間というのは、日本の宗教史のなかで、大きな転換点といってもいいような時代を迎えているのではないかと思います。より精密な、大勢の研究者による成果が期待されると思います。

ありがとうございました。