丹羽宣子・中央学院大学非常勤講師

はい、よろしくお願いいたします。それでは私の方から30分ということでお話をさせていただきたいと思います。今回私は、日蓮宗において2021年に女性教師アンケート調査というものを行いまして、一部それを紹介するような形で、そこから見えてくる女性教師像の変化というものに、家族という問題がどう関わっているのか、家族というもの、作用するものについてお話をさせていただきたいと思います。

報告の流れ

まず、報告の流れですが、大きくは最初に、宗教と家族について話した上で、伝統仏教教団の研究をしておりますので、そこでの家族と女性というものからお話をしていきます。そして、アンケート報告から見えてくる家族像の変化、家族規範というもの、それが仏教教団においてどのような変化が生じているのか、というところをお話をしていきたいと思います。最初に少し自己紹介をしますと、私は伝統仏教教団について宗教社会学から研究している研究者です。特に教団運営、教団の維持というものに、ジェンダーに関わる秩序であったり規範というものがどのように作用しているのかというのを主な関心事として研究を進めてきました。そうすると、やはり当然ながら家族という問題はとても大きな問題として浮上してくるわけですね。

宗教と家族

宗教と家族というものを考えてみれば、一部には家族というものに背を向ける教団というのはありますが、多くの宗教はその存立基盤として家族というものをとても重要視してきました。これは間違いのない事実かと思います。まず多くの日本人にとって宗教的なものと接するのはお葬式であったり法事であったりするわけですけども、ここで出てくる檀家とお寺の関係が重要です。檀家の「家」の字が象徴するように、個々の人びとは個人としてお寺と関係を結ぶというよりも、家族・家というユニットを基に仏教寺院と関わっていくという伝統が江戸時代から日本社会にはございます。さらに多くの教団では、説法であったり教えであったり、その中で共同体や子孫の繁栄というものが多く説かれます。そして特に、近現代の仏教寺院は実質上、自営業的に営まれています。お寺というものは、いわば、これは少し、ちょっと強い言い方にはなりますけども、家業であって、さらにこの稼ぐ稼業でもあるという実態があります。新宗教などを見てみれば家庭を信仰実践の場としてきたというものもあります。担い手は主婦層であるということが長らく言われてきましたが、近年、脱主婦化という現象が進む中で、それ自体が揺らいでいるというのが今日的な状況であろうかとも思います。また、宗教というものは多くの場合、伝統的な家族、良き家族というものを、その守護者であろうとしたり、理想の家族像というものを提示したりするというような側面もありました。

家族を自名視できない時代

ただ私たちはもはや家族というものを自明視できない時代に生きています。皆婚社会、皆が適齢期に結婚するというようなもの、これはもう完全に崩壊しているような状況でもあります。さらに近年では最も多い世帯というのが、先ほどの石井先生のお話にもあったかと思いますが、単独世帯ですね。一人暮らし世帯が急増していて、恐らくこれはこれからも変わらないであろうと。そして、いわゆる三世代同居家族というもの。確かに各種の統計的な資料というものを見ていれば、比率として減少してはいましたが、実数としては実は20世紀末まではそんなに変わってなかったんですね。ただこれが21世紀に入って、地方における長男が同居しているような家族、これも減少傾向にある、というものがあります。これまでいろいろと言われてきましたが、家族社会学で言うところの近代家族というものが終焉を迎え、これから家族というものがどういう形態として進んでいくのか、というものが分析されていくような状況になろうかと思います。近代家族として想定される家族の在り方としては、教科書的な説明になりますが、まず、形として核家族であること。家族の中で情緒的な絆が強まっていること。夫婦が性別や役割分業を担うということ。日本においては、特に戦後の高度経済成長期における特徴的な家族の形として大衆化しました。父親がサラリーマンで、お母さんが専業主婦で家事・育児を主に担う。子どもは二人ほどがいて、その教育などはお母さんがその責任を負うというものですね。ただ、これというものが、近代という特殊な時代に普及した、あくまで歴史的な形態であるというふうに家族社会学では考えます。ですのでこの発生条件、変化の方向とバリエーションが考察の対象となってきたわけです。私自身の研究的な問題関心としては、宗教が理想的に説く家族というものと、社会学が分析する家族のズレというものがあります。ここのズレが、私の最近の研究課題として考えているところでもあります。

伝統仏教教団と家族

続いて「伝統仏教教団と家族」ですけども。伝統仏教教団というものは、今回この研究会に参加されている方は皆さんご存知かと思いますけれども、家族というものがいろいろな意味でとても重要な役割を果たしてもいます。多くの寺院は、住職、特に男性ですね、男性住職の婚姻・血縁関係により維持・運営されています。その例外としてあったのが、いわゆる尼寺です。尼寺の多くは、最近はまた変わってはきていますが、養女を迎えてつながれてきました。また檀家の側も、家族単位で寺院と関わり、お布施や寄付をすることでお寺を支える。お寺の側は、一家の葬儀・法要というものをすることでフィードバックするというようなフォーマットがあったわけです。住職、多くの場合、男性がやはりどの統計を見ても多くあります。もちろん娘さんが継ぐケースというのもありましたが、最近はこれからお話していくように少しづつ変わってきてはいます。特に娘さんがお寺を継ぎたいと言った場合、寺の格が落ちるので檀家から拒否された、何ていうお話が私も何度か聞いたことがあります。しかし、現在のお寺の問題というものを大きく見ていくと、寺の格が落ちる以前の問題として、お寺の存続自体が危うい。そしてお寺を支えている檀家さんたちが存在しにくくなってきている。特に都市への人口流動であったり、家族、お寺のお墓の継承というが弱くなってきている。お寺を継ぐ後継者が少なくなってきている。どちらもこれは家族の問題と密接に関わっているわけです。

日本のお寺の一例として、夫が住職、妻が住職婦人、息子が跡取り、娘が結婚とともに生まれ育ったお寺を出るか、もしくは男兄弟がいない場合は婿養子を得るというような、そのようなあり方でなされてきました。ただこのあり方自体が揺らいできているというのが、恐らく今日的な状況として間違いないであろうかと思います。

伝統仏教教団における家族と女性

さて伝統仏教教団における家族と宗教というものを考えたときに、かつては家族を持つ女性と家族を持たない女性と大きく分けることができたかと思います。ピンク側の枠である方が聖職者ではない側ですね。で、紫色の方が聖職者になります。家族を持つ女性としてはお寺の住職の妻だったり、住職の息子のお嫁さんであったり、住職の娘さんたちがいらっしゃいます。檀家さんたちもいますね。檀家の女性は、法事のスケジューリングをお寺とやり取りをしたり、日常的にお寺と関わったり、家族行事としての祖先祭祀的なもののコーディネーター的な役割を多く果たしてらっしゃる方が多くいらっしゃいます。それに対して、伝統的な非婚の尼僧さんたち尼寺に住まわれてやってらっしゃったという方も多くいらっしゃいました。ただこのような尼僧さんたちは減少傾向にあります。そして今回のアンケート調査でも数値の上でも出てきましたが、住職の娘さんたちが女性教師になる傾向というものが、特に日蓮宗においては少なくとも確認することができます。

さてこの家族を持たない伝統的な尼僧さんたちという方々が減少していると少しお話をしましたが、昨年、象徴的なニュースが一つありました。全日本仏教尼僧法団という歴史のある尼僧さんたちの団体があったんですけども、その全日本仏教尼僧法団が公益財団法人格がなくなりシャンティ国際ボランティア会と吸収合併したというふうなニュースがありました。その理由として団員さんたちの数が少なくなってきていること、高齢化が進んでいて人員不足に悩まされていたということが報じられてもいます。

教団内女性に関する基礎的資料

さて、いわゆる尼僧さんたちとはまた異なりますけども「教団内女性に関する基礎的な資料」というものがいくつかございます。まず各宗派の宗勢調査で行われる「寺庭婦人」「寺族」への調査というものですね。この他にも2002年、2004年刊行の『全国日蓮宗全女性教師アンケート報告書』というものがあります。これは初めて全国規模で女性教師の実態というものに迫った調査という形で出されたものです。今回、時間を割いてご説明するのがこの第二回調査ということになります。この他にも例えば浄土宗東京教区では2014年に『教区内女性教師の現状に関するアンケート』というものを行っていますし、高野山真言宗でも、寺族婦人、ご住職の妻ですね、妻の意識調査アンケート結果報告というものがなされています。注目していただきたいのは回答率が61.3%と非常に高い回答率を誇っているんですね。これは恐らく寺族婦人の方々が自分たちの声を届けたいということでたくさんの回答がなされたということかと思います。この内容自体は例えば『月刊住職』などでも報じられてもいますけども。

これは『仏教タイムス』の記事ですが、いわゆる寺族婦人の人たちが、いわゆるアンペイドワークですね、お寺からの給与なしで働いているというものが半数を超えているというようなことが明らかにもなってきました。

住職の妻

さて住職の妻は宗門の、特にお寺の運営についてとても重要な役割を果たしており、特定の役割も期待されています。すべての宗派で住職の圧倒的多数は男性であります。男性住職の配偶者には宗派によりますが固有の名称が与えられています。曹洞宗においては寺族の定義というものが2015年に変わっています。それまでの「寺院に在住する僧侶以外のものを『寺族』という」が改定されて「寺族簿に登録された者を『寺族』という」となりました。家族だとか婚姻関係に関する文言というものは定義の中には含まれていません。日蓮宗においては親族という言葉がここに見られるように、婚姻関係というものを前提にしたものがあります。これも2004年で変わっていますけども、寺族寺庭婦人規定として「本宗の寺院、教会、結社に住職、担任、教導と同居する親族で、本宗の教義を信奉するものを寺族とする。但し、教師または教師補」教師資格を持っている方ですね「はこれを除く」というようになっています。「寺族のうち成年に達した女性で住職が認めたものは、寺庭婦人とする」という形になります。日蓮宗は、男性住職の妻でありながら同時に教師資格を取っていた人たちもいたんですね。ここが一つ日蓮宗の独自なポイントになります。この宗制改定により、寺族・寺庭婦人と教師、女性教師を分離したことによって、ここで「除く」という法令的な表現としてとても強い言葉が使われています。この「除く」という言葉に対して、強い排除というニュアンスを持たれた女性教師の方いらっしゃったようで、これに対するご意見というものもアンケートの中にも寄せられてもいました。もう一つ見ていきますと、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派においては坊守(ぼうもり)というものの呼称の規定が改正されています。「伝統的に使われていた男性住職の妻の呼び名『坊守』が女性住職の配偶者にも拡大」されたというとても大きな出来事がありました。

檀家

檀家については先ほど申し上げたとおりですね。イエというものを基盤にしてありますが、今日では家庭や家族の在り方というものが大きな変動期にあります。専業主婦、共働き世帯の逆転はもう90年代以降どんどん広がっていますし、主婦として生きる以外の女性の生き方というものが広く社会の中で許容されているような状況になります。このような状況の中で浄土真宗本願寺派では2018年に「仏教婦人綱領」というものが改正されて、ライフスタイルの変化を受け「母」とか「家庭」といった言葉が削除されています。既婚女性を前提とした組織運営は困難と判断されていたということでもあります。

女性僧尼/尼僧

そして女性僧侶、尼僧については、明治5年の「肉食妻帯令」の翌年、あまり言及されることはないんですけども、「蓄髪肉食縁付還俗等随意トス」とする太政官布告が出ています。さらに男性僧侶は公に結婚生活を送るようになってきた一方、女性僧侶はずっと独身主義・戒律順守が当然とされる傾向が続いてきました。女性僧侶研究はこのフォーマットを踏襲していたものが続いてきました。また、尼僧と尼僧ではないものを分ける視点というものも、2000年代以降もいろいろなところで見られます。例えば有名な所では、鵜飼先生の『寺院消滅』でも尼僧と女性僧侶という言葉を分けて書かれています。当の女性僧侶たちの間でも、尼僧さんと自分たちという形で分ける視点というのもあります。日蓮宗の場合は先ほども言いましたように住職の妻が女性教師となるケースというものがあります。後継者不足問題や社会のジェンダー平等化というものを背景にして尼僧の多様化というものが進展しているというような状況があります。

第2回 日蓮宗女性教師アンケート

さて、少しちょっと時間を飛ばしますけども、第2回となる女性教師アンケート報告書はもうすぐ刊行される予定です。日蓮宗においては、途中少し飛ばしてしまったんですけども、高度な宗教的職能者としての尼僧さんと、僧侶の妻を有髪のまま養成するというような制度が戦後から長く続いてきたこともありました。そのために女性教師の様々な姿があったわけです。そして2021年、19年ぶりにアンケート調査を行いました。回収率48.6%、非常に高い数値を得ています。加えた質問としては、女性教師の組織への入会状況、寺庭婦人会との関わりです。

教師になる女性の変化

ここで教師になる女性の変化というものが明らかに見て取れました。信行道場に入場する年齢が緩やかに若年齢化しています。住職の妻が子育ての落ち着いた頃に信行道場に入場する、中高年の在家出身女性が発心するということが日蓮宗ではよく知られていたんですけども、これが恐らく減少傾向にある。その代わりに増えてきているのが、住職夫妻の娘が教師となる傾向です。在家出身の女性教師は減少していて、経済的にも宗教活動のサポートが得られにくいというものがあります。

2002年度牒時の年齢

度牒交付時の年齢を見ると、8歳から19歳はさほど変わらないんですけども、20歳代で度牒交付を受けている人たちが増えています。2002年の方は40から59歳がひとまとめになっているのでグラフが見えにくいんですけども、2021年の方は足すと40.6かと思います。度牒交付時に20歳代の人が2割に達しているということは変化として言えるかと思います。

信行道場入場時の年齢 出家時の師僧との関係

信行道場入場時の年齢も見てみると、20代での信行道場に入場が2割に達しています。その代わりに減っているのが50代です。これも先ほど言ったように、教師の妻が子育てが落ち着いた頃に信行道場に入るというような女性教師、そういうモデル的なコースがあったんですけども、これがやや減ってきていて、むしろ20代が増えてきている。じゃあこの20代で増えてきている人たちは誰なのかというもので、参考に成り得るのがここです。出家時の師僧との関係を見てみると、大きな変化がありました。父・母が師僧であるという人たちが17.4%から30.8%まで増加しています。その代わり減少しているのがこちらです。おそらく在家出身の人だと思われる、法縁関係、菩提寺の住職、知人というものが減少しています。他はそれほど変わっていませんが、2021年時点で、3割の女性教師が父・母が師僧であるというような状況があります。

入場時の立場

入場時の立場を見てみます。2002年の調査では在家出身の人が4割を超えていましたが、2021年調査では3割を下回っています。今回調査で多くなっているのが、教師の娘なんです。ここは設問の選択肢が少し異なっていますので、簡単に比較はできないんですけども、教師の娘たちが3割を超えて、2021年の時点では最多になっています。

日蓮宗:教師の出身(過年度比較)

ただこれは女性教師に限りません。日蓮宗全体で教師の出身を過年度比較してみると、黄色がお寺の出身の方、緑が在家出身の方で、どんどん在家出身の方が減ってきている。女性教師の場合もそれと同じような傾向を示しているわけですけども、かなりの変化として見ることができるかと思います。

現在の立場

現在の立場も確認してみたいと思います。住職・担任・教導、つまり代表役員ですね。これはほとんど変わっていません。住職後任については微増と言っていい程度に留まっているかと思います。減少の方に着目してみると、師僧寺の法務、独自で布教活動というものが減っています。これは恐らく在家出身の方々です。さらに何もしていないというものが増えているというところも気になります。少しここで確認してみると、やはり師僧寺の法務が減っている。在家出身の方々が減っているであろうことは間違いないことだと思います。

「教師の娘」の存在感

この「教師の娘」の存在感が今後強まっていくであろうということは、恐らく将来予測として言えるかと思います。2021年時点では教師の娘が最多であって、在家出身の女性教師が減少傾向にある。さらに分析をしてみると、教師の娘は管区行事への参加経験あるいは宗門の役職経験を得やすい傾向が認められます。一方で、教師としてのキャリアというものを見てみると、必ずしも長いキャリアが役職経験に結びつかないであろうということも見出されてきました。

信行道場入場時の立場×管区行事への参加経験

信行道場入場時の立場と管区行事への参加経験です。少しちょっと見にくくて恐縮なんですけども、教師の娘が緑色です。現在しているが48.5%と半数に近いんですね。教師の妻は日常的には寺庭婦人として過ごされている方が多いので少し低いのは分かるんですけども、在家出身の方、現在している方が四分の一まで落ち込んでいます。過去にしていた、したことがないを見るとかなり高い数値が出ています。立場による傾向の違いというもの、これは明らかです。教師の娘はこのような経験を積みやすいけれども、在家出身の方はその経験が積みにくい。χ2(カイ二乗)検定の残差分析もしていますがやはり1%水準で優位差も現れています。

信行道場入場時の立場×自坊・師僧寺以外の法要出座経験

自坊・師僧寺以外の法要出座経験なども見てみると、教師の娘、妻・娘以外の寺族は、現在しているが最も多いですが、過去にしていた、したことがないを見てみると、在家出身の方がかなり高い数値を出しています。教師の妻もそれに似た動きをしていますが、これは日常的には寺庭婦人としての生活を行われている方が多いということの現れかと思います。明らかに教師の娘、あるいは妻・娘以外の寺族はこのような経験を積む機会に恵まれている。同じ女性僧侶の間でもいわゆる格差のようなものが現れているような現状があるんですね。

信行道場入場時の立場×宗門役職経験

よりそれが現れていたのが、宗門で役職経験を得たことがありますかというものです。教師の娘、多くは若い方が多いんですけども、3割がしたことがあると答えています。それに対して在家出身の方は1割にとどまっているんですね。

教師歴(推定値)×宗門役職経験

教師歴の方を見てみると、必ずしも長いキャリアが役職経験に結びついている訳ではないということも見えてきました。教師歴20年から29年の層は24.7%。経験も積んで年齢的にもいろいろやりやすい所かと思います。ここは確かにあるんですけども、その先になると高齢的な問題もあるのか伸び悩んでいますね。ここは少し考えていく必要があろうかと思います。

さて、近年では宗会などで女性活躍というものが議論されていて、いろいろな新聞記事というものもございます。ただ、この時に考えていく必要があろうかなあと思うのは、登用される女性教師は誰かということなんですね。先ほども見たように女性教師の中でも教師の娘は役職経験を得やすい傾向があるけども、在家出身の方はなかなかそのチャンスに恵まれない。あるいは、過疎地域の寺院や住職家族をどう守っていくかという議論は近年活発になされていますが、保護もされず、姿を消していった女性教師達の存在もあったわけです。例えば、伝統的な姿を守り続けた尼僧さん達は後継者を得ることが難しくて、姿を消していった方々がいたということ。それ自体はやはり事実なわけなんですね。そのようなことも考えていかなくてはならないと思います。

入場時の立場

「入場時の立場」在家、教師の妻、教師の娘、それ以外の寺族であるかどうか、それがその後の宗教活動、管区行事、法要出座経験の有無、役職経験に大きな影響を及ぼしています。特に、教師の娘、さらに若手であるほど、ちょっとこう飛ばしてしまったんですけども、ここの図ですね、若い女性教師は女性教師の任意団体への入会状況として、40歳までは7割が入会を検討していないと答えています。年齢が上がるにつれて入会しているとか入会したいというもの出てくるんですけども。ここの自由回答を見てみると、既に青年会などで関係があるからだとか、自分の親族関係者などからの紹介があるからということで、女性教師の横の繋がりを必要とする若い世代は少ない。特に娘さん達にはそれが顕著でもありました。

満年齢×女性教師団体への入会状況

若手ほど女性教師団体への参加の意思を示さず、地域の青年会などにコミットする傾向が確かにあります。これは地域の横のつながりが、自分がお寺の娘として親世代から継承されている場合そちらに参加するというものがあります。そうなってくると、親世代から継承というような、いわゆる地盤ですね、そういうものがない在家出身の方々がさらに厳しい状況に陥る可能性がある。このようなある意味での格差というものが広がっている懸念というものはあります。

日蓮宗における家族主義の強まり

このように見てみると、確かに日蓮宗において女性教師達の存在感というものは強まってきていますが、深く考えてみる必要があろうかと思います。これは、私は家族主義の強まりである可能性があるからではないかと思っております。在家出身僧侶数の減少傾向。これは全体としてあるわけです。息子がいない住職夫妻の娘と、在家出身の男性が結婚するというケースが多かったわけですが、今日では娘自身が後継としてお寺にいることも認められるし、娘自身もそれを目指すというような形が出てきています。婿を取るのではなくて娘が寺院後継となるケースというのは無視できないほどには台頭している。後継者不足の対応策として娘たちの存在感というものが増加している。これ自体は恐らく間違いないかと思います。寺院出身の女性僧侶は、宗教活動のサポートを家族・親族ネットワークから得やすいため、若手の男性僧侶との差異が小さくなります。同時に「後継ぎがいなければ娘婿」という規範は弱くなってきている。そして娘自らが寺院後継となるケースが増えつつあるのであれば、これは家族・血縁主義、そしてよりそれが強くなっている可能性が指摘できるのではないかと思います。ただこの家族・血縁によって継承する寺院というものを規範化することは、これ異性愛中心主義ですしマイノリティの排除に繋がりかねない危険性というものもあります。家族を自明視できない時代であるということを発表の冒頭でも申し上げましたが、その中で仏教教団内では家族・血縁主義が強まっている可能性がある。恐らくこれはこれから進んでいくかもしれない。この方向性の意味は考えなくてはいけないという形で、ひとつ、アンケート報告書から報告させていただきました。

30分を1分オーバーしてしまいましたが以上になります。ありがとうございました。

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