問芝志保・東北大学大学院准教授

はい、ありがとうございます。改めまして問芝志保(といしば・しほ)と申します。本日はこのような機会を頂きましてありがとうございます。「先祖・墓・家族の変容とこれから」というタイトルで本日は少しご報告をさせていただきたいと思います。

発表のあらすじ

本日のあらすじはこちらのとおりでございます。森岡清美先生の研究をベースにしまして、それに社会格差、具体的には身分・貧富の差という観点を加えて、家族と先祖祭祀・墓の変化を歴史的に捉えていきたいと思っております。森岡清美先生の先祖祭祀研究について、初めにごく簡単ですがご紹介させていただきます。続いてお墓の歴史について、近世以降、近代、戦後、平成という展開を、日本全体として捉えていきます。さらに具体的な事例としまして、私が現在調査をさせていただいている神戸市の墓地の事例をご紹介します。森岡清美先生は昨年98歳で亡くなられましたが、庭野平和財団さんとも非常に関係の深かったかと存じます。日本における宗教社会学や家族社会学を牽引してこられた先生で、多方面で研究を残されていますけれども、先祖祭祀に関しても非常に大きな業績を残されています。

先祖祭祀と死者供養の違い

まずは森岡先生の研究にもとづきまして、学術的な概念としての先祖祭祀・死者供養について、ご説明をさせていただきます。もとより日本の宗教学では「家」の存在が非常に重視されてきました。これは日本の宗教がもともと家を基本的な単位として存在してきたためです。先ほどの石井先生のお話にもありましたように、もはや現在ではそうしたことを実感できないという世代の方がほとんどなのかもしれませんが、伝統的に日本の宗教はまずベースとして、家の繫栄を祈ったり、家が絶えたり衰退したりすることがないように祈願をすること、それから家のメンバーが亡くなったらその葬送儀礼を行うことを中心として営まれてきました。そうした意味で、家は宗教的な性質を持っていたと言えるわけです。その家の宗教の核となるのが先祖祭祀だったと言われております。学術的な捉え方としましては、先祖祭祀とは先祖と正当に認知された死者に対する、家的な、強制的な、そしてフォーマルな儀礼のことを指します。人が亡くなったら誰でも、先祖になれるわけではなくて、家を作った初代から系譜的につながる家長の代々の夫婦が亡くなった場合に、先祖となって祀られるとされています。こうした非常に規範的な概念においては、結婚せずに若くして亡くなってしまった方とか、それから子供を持たなかった方は、正当な先祖にはならないと観念されます。また、儀礼は家族の公式的な行事なので、私は参加しませんということは基本的には認められず、必ず参加するものとされたと。子孫が先祖を祀り続けることで初めて死者は先祖となり、そして、先祖が超自然的な力でその家を守ってくれると、家を繁栄させてくれると信じられてきた。すなわち子孫が代々祀ってくれなければ死者は先祖とは成りえないですので、家が絶え、子孫がいなくなれば、先祖祭祀が行われなくなって、死者は先祖とはなれない、いわば浮かばれない霊魂という形になってしまうというわけですね。加えて、先祖祭祀はそうした先祖の魂を供養するという宗教的な意味だけではなく、家という組織を維持するうえでの意義をも持っていました。後継者の存在を明らかに示す、正当化するという役割や、初代・二代目・三代目、自分は何代目にあたるという系譜性の認識を新たにして関係を安定化させる役割、それから儀礼の際に本家や分家が集まることによって、その家の一体感・連帯感を高める役割、また、年ごとに先祖へ家を繁栄させてほしいと祈願することによって、自分たちとしても「よし、みんなでがんばって家を繁栄させていこう」という動機づけをもたらす役割。このようにして、先祖祭祀は家の存続や繁栄にとっての大きな機能を持っていたわけです。以上のように家のフォーマルな儀礼としての先祖祭祀があるわけですが、それとは分けて考えるべき別の種類の概念として、死者供養というものがあります。これは自分の大切な故人に対する慰霊とか追悼の想いといったものです。たとえば「お世話になった、大好きだった、母方のおばあちゃん」は、先ほど言った従来の家的な枠組みから外れてしまうわけですね。通常、父方の祖父母は家の正式な意味での先祖になりますが、婿養子とかそういった事情でない限り、母方の家系は家ではないので、家のフォーマルな先祖祭祀儀礼は行われません。でも、自分の大好きだった母方のおばあちゃんについて、個人的に墓参りをしたり、高野山を訪れた際に塔婆供養を申し込んだり。あるいは必ずしもそういう宗教的な儀礼ではなくても、家に写真を飾っておいて心の中で思い返したり、少し手を合わせたりといったぐらいことも含めてもいいのかもしれません。こうしたことは、あくまでも個人的に大切な死者を想う個人的な死者供養であるとして、家のフォーマルな先祖祭祀とは、分析概念としては分けて考えられてきました。

先祖祭祀の衰退予測

このような前提の上で、前者の方の先祖祭祀が現代社会においてどうなるかを、森岡先生は既に1970年頃から提示されていらっしゃいました。まず一つは、戦後の社会で家族が変化してきたことによって先祖祭祀は衰退するだろうということです。農業や漁業、いわゆる昔ながらの商家さんとは異なる、サラリーマン世帯が増えました。それは自分が外の会社で稼いだお金で家族を食べさせていくという形になりますので、先祖代々の家業を継いでいくとか、先祖の恩恵によって今の我々がある、生かされているといった感覚が衰退していくだろうと予想されます。また自分が、生まれて、生かされている家に所属し、家に奉仕するという感覚が弱まり、むしろ家族とは愛情で結ばれた夫婦がいて、子どもができたら大切に愛情たっぷり育てると。自分の後継ぎとしてではなく、自由な意思を持った存在として育ててると。愛情の場、安らぎの場といったことが家族の第一義的な目的になってきます。そのような情緒で結ばれた家族が亡くなると、フォーマルな儀礼を行うというよりはむしろ、大切な家族を追悼したい気持ちの方が前面に出てくるだろうということです。このように我々の生活の中から、いわゆる伝統的な家の実質が失われている現代では、森岡先生の予測によりますと、先祖祭祀は希薄化していき、そして死者供養が前面化するというわけです。ただし、そうした私的な死者供養であっても、幼少期に先祖祭祀のやり方に慣れ親しんでいると、方法としては伝統的なお墓や仏壇での祀りのあり方を踏襲するので、当面の間、お墓や仏壇は残るだろうともおっしゃっています。以上のような家族の変化に加えて、もう一つは、死生観や来世観の変容についてです。戦後、人々の平均寿命が延びて長寿になると、子育ても社会生活もしっかり終えて引退した後も長い余生を過ごします。その後、病気になって闘病したり介護を受けたりして90歳、100歳で亡くなるようになる。そうしますと、長い人生を生き切るというか、十分に人生を全うしたうえで大往生する方が増えていく。もちろん早く亡くなってしまう方もいらっしゃるわけですが。森岡先生によりますと、こうした長寿化によって、ご当人は来世や生まれ変わりにあまり執着しなくなり、遺族としてもどうしても供養したいという気持ちが深刻には感じられなくなる。「おじいちゃんも十分長生きしたし、人生を全うして良かったね」と考えて、宗教的な儀礼のニーズが失われていくのではないかということです。また、葬儀としても、かつては村のコミュニティで死者をみんなで送り出そうと行われていたものが、すべて葬儀社に依頼して、遺族も葬儀というサービスの消費者という面が強まってきますと、こんなに高いお金を払ってお葬式をしなくてもいいんじゃないかということで、簡略化していくと、森岡先生は予測されました。

歴史1 近世・近代初頭まで:弔いの身分格差

長くなってしまいましたが、ここまでの森岡先生の議論を念頭に置いたうえで、話題をお墓の歴史に移します。長い歴史的スパンで具体的にお墓の変化を見ていくと、社会格差という問題が浮かび上がってくるんじゃないかという見立てでございます。

お墓の歴史をご紹介していきます。時間の関係で、要点のみのご説明になって恐縮です。まず、日本の近世から近代初頭までにどのようなお墓が作られていたかというと、身分の高い人は立派なお墓を作って、棺を作って、副葬品も共に納める、武士の方だったら刀を一緒に納めるといったことが行われていました。しかしこうした立派な葬られ方をするのは身分の高い人だけで、近世初頭までの庶民は風葬の方がむしろ一般的だったと言われています。ご遺体をそのまま山の中に置いて朽ちるに任せる、あるいは簡単に埋葬してそれでおしまいという方がほとんどだったようです。それが近世中期以降になりますと、庶民も墓を建てることが少しずつ一般化してまいります。個人や夫婦で櫛形墓標を建てる形が全国的に流行したのだそうです。一方で、貧しい方とか小農層では、依然として簡単に埋葬した程度で墓石を建てないということも多かったと考えられています。地域によっても多様でしたし、特に江戸のような都市にいた下層の労働者層では、投げ込み寺もあったようです。身分制社会の時代には、お墓の中にもその身分制が顕著に映し出されていました。

歴史2 明治期:近代的な墓地政策の開始

それが明治期には近代的な墓地政策が始まります。近代化、衛生、都市づくりといった観点から、お墓の法律が作られていきます。また、明治民法で、お墓は家で代々継いでいくことが定められました。ただし重要なのは、こうした規範は「いっせいのせ」で全国的に変わったわけでは決してなくて、むしろ村落部は今までのやり方でもいいとされました。しかし都市部では、法律に則ったやり方にどんどん変えていくものとされ、都市部から墓地の近代化が進められていきます。とは言っても、東京のように、人口の流動性が非常に高い都市部においては、実態として墓をしっかりと家で代々継いでいくことは難しく、無縁墓が大量に生み出される状況がしばらく続きました。

歴史3 明治期:明治中~大正期:先祖祭祀と墓の結びつき

次に先祖について少しお話ししますと、明治中期頃から、日本人は先祖を大切にする民族だというナショナルアイデンティティが少しずつ形成されていきます。教科書の中にも、祖先を敬うのは我が国古来の美風であると書かれるようになり、先祖を祀ることが国民的な道徳として励行されます。大正期頃には、先祖祭祀の意識が高まっていくことによって、お墓もどんどん整えられます。大正末期、今からちょうど100年前に、多磨墓地、今の多磨霊園が造られました。しかし半年も経たないうちに関東大震災が発生してしまい、東京の都心部の墓地がぐちゃぐちゃになってしまいました。その都市復興のなかで、カロート式のお墓が制度化されます。カロート式のお墓は非常に近代的、合理的な墓制として当初スタートしたんですね。人々としても、このように墓を建てておけば子孫のために財産としてこのお墓を残すことができると。子どもに迷惑をかけないためのお墓として高い評価を得て、当時は普及しました。

歴史4 戦後:「カロート式家墓」の全国的普及

時代をどんどん進めますが、このようなカロート式のお墓が東京で普及し、戦後になると全国的にも広がります。戦災復興で、東京の墓地がモデルとなって急速に普及していきました。高度成長期からバブル期にかけて、人口が増えるに従って墓地の需要も高まり、このあたり詳しくは割愛しますが、石材加工技術、そして火葬の普及もあって、霊園が普及しました。我々が見慣れた、同じ形の石が立ち並ぶこの霊園の光景が全国的に見られるようになりました。

現代における墓参り

そして家族連れ立っての墓参りの実施率も高まります。世論調査などを見ますと、むしろ1970年代頃と比べて2000年代、2010年代には、墓参りの実施率は少し上がっているようです。お墓参りは、現在7割ほどの方々が行う慣習になっています。

歴史5 平成移行の変化

しかし一方でバブル期には、霊園が森や山を開発して造成され続けることに対して、これはちょっと環境破壊ではないかとのイメージが非常に強まりました。また、ちょうどこの頃、団塊世代が親の葬儀を経験するのですが、葬儀の費用が高すぎると問題視され「葬儀って本当に意味あるの?」という形で、ネガティブな思いを抱く方も少なくなかったようです。他方、社会では晩婚化、非婚化、少子化、それから家族観・ライフスタイルの多様化が顕著になってきます。実はこの時期、独身の方や、子どもを持っていない夫婦が、お墓の購入を断られ、お墓を買えないという事態が問題になりました。当時は霊園サイドも売り手市場ですので、後継ぎの見込みのない方にはお墓を売らない、という姿勢でした。そうした人々が「私たちは無縁墓に入るしかないの?」と問題提起し、葬送の自由とか、自立、合理化といった声が挙げられるようになり、1990年代から市民運動が展開されるようになったのです。こうしていわゆる新しい葬送として、自然葬や散骨、樹木葬、納骨堂、合葬墓などが普及しました。2012年には「終活」がユーキャン流行語大賞に、2014年には「墓じまい」という言葉が急速にメディアで普及しました。従来のカロート式の家のお墓を残すことが、子どもの負担になる、迷惑になると考えられるようになってしまったわけです。

さらに、もう一つ見逃せない傾向として、こういう葬送の自由化意識と表裏一体の、少子高齢化、そして低経済成長、自己責任社会と孤立化という動向があります。2020年にはNHKで「無縁社会」と題するキャンペーンが張られ、誰にも看取られずに亡くなる方、弔われない方々の存在が注目されました。このNHKのキャンペーンは高齢者の方に注目したものでしたが、むしろ指摘しておきたいのは、現在の40代後半~50代前半にあたたる就職氷河期世代の方々は、単身で低所得の方が、明らかに多いのです。孤立化や無縁化といった傾向は、今後いっそう増えることは間違いありません。

神戸市の、ある高価格の墓地の事例

こうした大きな傾向をもとに、最後に短い時間ですが、わたくしのフィールドワークをご紹介させていただいて、しめくくりにします。神戸市の墓地についてです。実は神戸市は政令指定都市ではありますが、人口の流出数が流入数を上回っており、人口は減少傾向にございます。ただその中でも、今回ご紹介する墓地は、近世前期に開設され、地域の名家のお墓がたくさんある墓地で、都心に近いこともあってブランド的な地位を確立している、高価格帯の墓地として事業展開されている墓地です。

インタビュー調査

昨年私は、この墓地にあるお墓をこれからも継いでいく意思の比較的強いと思われる方々8名にインタビューをさせていただいたところ、墓を維持しようという方に共通する条件や、維持する動機について、5つの共通点を見つけることができました。1つは、ご職業等を伺う限り、経済的な余裕があると思われる方々であること。2つめに、少なくとも次世代までの継承予定者がいらっしゃること。お子さんがいらっしゃらない方でも、甥っ子の方が継承することが約束できている方も含みます。3つめに、故人への想いや、墓参り慣習といったお話を伺うことで、ご家族の関係が非常に良好な方々だとわかりました。4つめ、8名のうち1名を除く7名は、居住地から墓地へのアクセスが良く、皆さんかなり高頻度で墓参りをしている。最後の5つめのポイントは、親から「お墓を維持しなさい」と規範的に要求された経験はなく、しかし祖父母や父母が大切にしてきたのを見ていて、自分の大事な祖父母や父母が大事にしてきたものを自分も大事にしていきたいと、そういう意思がおありでした。そして自分も子供たちに「この墓を継いでね」と義務づけることはせず、「それは子どもが決めることですから」とおっしゃる。こうした形で、お墓を維持していらっしゃることがわかりました。ただ、この5つを条件とした場合に、これらを全て満たすことは、非常に難しいのではないかと思われました。

質問紙調査

なお、その墓地の利用者の方々を対象に、郵送法によって質問紙調査を行なった結果がこちらになります。時間の関係で詳細は省きますが、全体としては、お墓をこれからも維持できるとか、墓を大切に思っている方々が多かった一方、103名に回答をいただいたうち10名ほどが、維持の不安とか、もう墓じまいするつもりですとの意向を示されていました。やはり、継承者が決まっていない方も決して少なくなかったわけです。この結果を見るに、全ての条件を満たしてこれからも墓を維持していくことは、必ずしも自明のことではなく、今後はどんどん難しくなっていくと思われました。

実際、集落の墓地を丸ごと「墓地じまい」をする、「墓じまい」ならぬ「墓地じまい」するという例も相次いでいます。2、3件、ニュースを見たことがありますが、ニュースになっていない「墓地じまい」もかなりあると伺っています。

まとめ 社会階層と先祖祭祀・墓

最後に、簡単にまとめさせていただきます。このイメージ図のように、もともと近世においては、身分制社会のために、お墓を中心とした先祖祭祀をすることができる方は、ごく一部の方々でした。社会的上層の方々だけが十分に先祖祭祀を行なうことができていた。それが近代になると、先祖祭祀やお墓の継承が一般化し始め、さらに国の経済発展とともに、実際に現実化したのが高度経済成長からバブル期にかけてでした。一億総中流社会の中で、大多数の人がお墓を買って、先祖祭祀を十全に行えるようになりました。しかし、平成になった頃から、それをできたとしても望まない人たちも現れ始め、先祖祭祀の実施が選択的になっていく。令和時代になると、今度は低所得、低経済成長で先行きの不安を背景に、家族を持たない人、先祖にならない人、墓を継承できない人が、増えていくのでないかと思われます。このように、冒頭でご紹介した森岡先生の指摘に加えて、先祖祭祀を「文化パターン」として維持することができるのは、経済的な余裕があってなおかつ、その先祖祭祀を維持していきたい意思があること、この2つが条件となって維持しうる。先祖祭祀はどんどん弱まっていく傾向はやはり否めないのではないか、これが私の話の結論となります。ありがとうございました。

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