平成27年度助成先 現地事業視察 実施報告

視 察 名

公募助成採択団体:日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)現地事業視察

訪 問 国

ヨルダン・ハシミテ王国

期  間

平成29年1月27日(金)~2月2日(木)

事 業 名

ヨルダンにおけるシリア難民の内戦負傷者/障害者支援事業

視察目的

63万人以上といわれるシリア難民が居住するヨルダンにおいて、戦渦で負傷した人々の医療支援を行う当団体の現地事業視察を通じ、紛争という緊急事態が6年にわたり続く慢性化した事態に対し、マスメディアが報じなくなったシリア内戦と、それに伴う中東・欧州に拡がる難民の方の置かれた現状の一端を垣間見る。

訪問先

1.日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)イルビド事務所

2.Arabian Medical Relief(AMR)アンマン事務所

3.AMR障害者通院サポート事業(アンマン→イルビド)

4.ザータリ難民キャンプ

5.AMRザータリ難民キャンプリハビリテーション診療所

6.AMRアンマン事務所

7.Souriyat Across Bordersリハビリテーションセンター

 

 

視察内容(現地で視察した場所・活動)

JIM-NETイルビド事務所
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↑イルビドセンター外観

 

シリア国境に近いヨルダン北部のイルビドで、女性障害者による活動の総括会議が行われた。3ヶ月という期間を切って実施してきた障害者グループによるプログラムの振り返り会議だ。参加者は障害を持つシリア人、ヨルダン人の女性か、またはその家族。自分たちで作成した事業計画(別紙)を基にふりかえりが行われた。JIM-NETヨルダン事務所のシリア人スタッフ・ラハフ氏がファシリテーター。終始参加者である女性たちが積極的に発言や提言、ノートテイクをおこなった。

2時間にわたり休憩なく議論は続いたが、これは自分たちで計画した事業との意識が高まり、普段以上の集中力を発揮したのではないか、と福田氏は語った。

自身も歩行障害を持つ有給ボランティアの女性は、非常にあかるく朗らかで、彼女が近寄ると場が明るくなる。身体に障害を抱えているが、周囲を包み込む精神の豊かさようなものを感じた。
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↑イルビドセンター室内写真施設内で理学療法士による診察や各種リハビリが行われる

 

宗教・言語が同一であることと同時に、障害持つ方同士が率直な胸の内を吐露し、互いに理解し合う場となっている。「難民」「市民」などのステータスを越えて、集い語り合う場が設けられていること自体に価値があるように感じた。

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女性障害者の多くは、家族や社会からの偏見により外出すること自体が困難である

 

2.Arabian Medical Relief ;AMR事務所

庭野平和財団が助成している「障害を持つ方の通院サポート事業」視察のため、JIM-NETの現地パートナー団体であるAMRオフィスへ。シリア人ドライバーの男性と共に、通院希望者の待つイルビド市内へと移動。

 

3.通院サポート事業への同行

片道約1時間でイルビド市内中心部へ。しばらくして通院希望者のシャヘル・ハミードさん26歳(シリア南部ダラア出身)と合流。風が強く砂埃舞う中であったが、短くインタビューをさせてもらうことができた。

「シリア政府軍による銃撃で、3発の銃弾が胃から背中へ貫通しました。その影響で脊髄を損傷、歩行が困難となり、こうして通院サービスを受けています。

以前は家にこもりがちでしたが、障害を持つ人々のお宅訪問を週3回、ボランティアとして行っています。この活動を通じて様々な状況の方と接する内に、気持ちが上向きになり、奨学金を得て大学に通い、将来会計士になることを目指して勉学に励んでいます。ボランティアとしてやることがあり、心が健康なので、私は大丈夫です。」と笑顔で語ってくれた。
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通院サポート事業専用車。片道1時間のアンマン⇔イルビド間を2往復移動する。

 

4.ザータリ難民キャンプ

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最大202,993人の方が生活していたと言われている(2013年4月25日時点)。よっていくつかの町のように区分(12地区)されており、国連が運営する学校なども複数存在している。最新の援助対象者数は79,689人(UNHCR、2017年3月15日現在)。4年のあいだに援助対象者が大きく減少したのは、①シリアに帰国する人、帰国させられる人々、②厳しい条件があるが、居住権を取得しキャンプ外での生活を希望し実現させた人々の2パターンであるという。

(外部サイト)

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ザータリ難民キャンプ遠景。近くでの撮影は憚られるため。

 

難民キャンプに入るにはパスポートを事前に提出し、手続きを行わなければならない。
システムが変わったばかりで当日まで許可が下りず断念しかけたが、AMRテクニカルディレクターのムハンマド氏の調整のおかげで検問を通りキャンプ入りすることができた。
ヨルダン警察がかなりの人手をキャンプ内とその周辺に割いているため、治安も安定しているという印象を受ける。

ザータリに入ってから目的地の途中で商店街に出会った。色とりどりの衣服やサンダル等が並べられていた。あるピザ屋さんが美味しいと評判とのことで立ち寄って昼食を購入したが、店舗で働いていたのは10代の少年たち3人であった。それぞれが手際よく働き、連係プレーで美味しいピザを焼いてくれた。生計を立てる手段となり、自立への一助となる仕事があることに一筋の光明を感じた。しかし、道のりはそんなに易しくはないのだろうか。

後日、分かったことであるが、これらの取り組みは’Cash for Work’(CfW)という「生活手段を得る機会」としてUNHCRや協働するNGOなどがサポートする事業であり、CfWを活用する人々は6,030人、18歳以上の労働人口32,675人に対して約18%にも上る(2017年1月時点、参照:’Cash for Work in Zaatari Camp, Basic Needs and Livelihoods Working Group, January 2017’)。

 

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全員10代の若者たち。手際よく作業をこなしていた。こうした仕事が生活再建の一歩になれば。

 

店舗内にある立派な窯で焼くピザは少し冷めてもおいしく、この近所でも人気がある。

 

AMRザータリキャンプ内リハビリ診療所

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 目的地であるキャンプ内のリハビリ診療所へ。キャンプ内の一角に内科や小児科等医療施設が集まった場所にあった。到着が遅くなってしまったが、2人の理学療法士が応対してくれた。
JIM-NETからAMRへの事業引き渡しに伴い、医療用ベッドやその他機器を細かく確認することが訪問の目的の一つであり、すばやくそれらの目的は達成された。

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AMRへ引き渡される医療機器類の一部。JIM-NETが日本政府より委託された。

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クリニックの診療時間外のため患者の姿はなかったが、装飾から子どもたちがリハビリを受けに来ているであろう事が窺われた。

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UNICEF、WHO等の国連機関による巨大なポスターがクリニックの壁に貼られていた。

 

AMRアンマン事務所

内戦で手や足を失った方達に、当然だがオーダーメイドの義足義手を製作する。その過程を見学させていただいた。
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道具は万力、ハンマー、ドライバー、接着剤、その他。技術的には日本でいうと、昭和時代程度らしい。

 

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型に石膏を入れて固めた義足。使用者とのフィッティングは何度も行われる。

 

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↑身体との接合部分にはもっとも注意が注がれる。
AMRなどのNGOを入っているビルの外観。日本でいう組合のようなところの建物→

 

 

Souriyat Across Bordersリハビリテーションセンター

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最終日、帰国直前に患者や理学療法士も住み込みでリハビリテーションをおこなっているという施設を訪問した。

ここに勤める理学療法士のジアド氏に話しを聴いた。

リハビリや治療はストレッチが主で、腰から上を柔らかく、動きやすくするもの。下半身麻痺の方がほとんどなので、車いすに乗るためのトレーニングを行っており、自力で動けないことによる床ずれなどの二次障害を防ぐことが目的。現在15人がこちらで治療を受けている。

背中から攻撃を受けた場合、脊髄を損傷してしまうことが多い。下半身が動かせないことで、むくみや床ずれ、関節が固まることで石灰化など深刻な状況が引き起こされる。

上の写真の男性は、1年半前からここにいる。病院での入院中に床ずれがおきた。皮膚が擦れるだけでなく、足の血管やさらには骨までがダメージを受けてしまう。病院で医者から「床ずれがそんなに辛いのなら、足を切断した方が楽になる」と言われたが、どうしても嫌でこの施設にたどり着いたという。写真ではハムストリング(太ももの裏の筋肉群)を鍛えている。寝ている時、自力では動かない足を動かすことで血流促進をおこなう。

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写真の少年(17歳)はストレッチと歩行器での訓練を行っていた。写真上の男性よりも損傷した脊髄の位置が上方で、損傷の度合いが低いため、歩行器を使えば自力で歩くことが出来る。

 

おわりに

平成23(2011)年に始まったシリア紛争により、多くの市民がいのちを落としてきたが、銃撃戦や爆撃に巻き込まれ重度の障害を負い、国を離れて難民となった方も大勢いる現状を目の当たりにした。比較的治安が安定した隣国ヨルダンに逃れることができても、政府が提供する医療サービスへのアクセスは困難である。多くの難民の中でも、障害を持った方々を対象として絞り行われる事業の価値は非常に大きいと感じた。日本イラク医療支援ネットワークが行ってきた通院のための送迎事業や、理学療法士によるリハビリテーション事業も、現地NGOへと緩やかに移行しているため、今後の持続性も担保されている。

何よりも難民の方々が1日も早く帰国できる状況を作り出すことが強く求められていると感じた。